当社では、毎朝京セラフィロソフィーの輪読をしています。
その項目の中で感謝について書かれたページがありました。
私の中の定義は、感謝とは互いの関係が見えてることである。
人は様々な環境の中で生きています。
自然環境、人間的環境、経済環境などその中でしか生きられないと言ってもよいでしょう。
それが、見えているのかです。
例えば、私たちは、犬や猫ではなくなぜ人間に生まれたのでしょうか。
なぜ、地球だけに水と空気があるのでしょうか。
私たちは、アフリカの原住民や爆弾が絶えず落ちてくるアフガニスタンで商売ができるでしょうか。
けれど、個人事業主の中には、税金を納めるのがばかばかしいから、儲からないように見せかけ、税金を納めないようにしよう。と考える人も多いようです。
なぜ、そんなことを言うかというとそういう方が、収入を低くしていたがため、住宅ローンを組めず家づくりを断念する人を多く見ているからです。
何か大事な行動を起こさなければならないとき、正しい物事のとらえ方をしているかどうかが試されます。
私は、そのために住宅ローンが組めず、全額自分で資金を作らなければならなくなった人を何人も見ています。
そのために、その家族、その子供は、夢のマイホームに住めないのです。
なぜ、こんな治安のいい、社会環境も整ったところで仕事をさせて頂けるのでしょうか。
感謝できるという事は、見えてるという事です。
逆に感謝できないという事は、見えていないという事です。
成功者の多くが、感謝の言葉を口にし、そうでない人の多くが愚痴や文句、悪口さえ恥ずかしげもなく口にする。
人は、感謝の多い人と付き合いたいと思い、愚痴、不平不満、ましてや悪口を言う人と本気で付き合おうとは思わばい。
それが、運命ではないではないでしょうか。
人に会ったらニコニコこんにちわといえる人と、ガンを飛ばし睨む人どちらの人生が良くなるのでしょうか。
つまり、これが運命を作っていきます。
ニコニコ挨拶する人は、人をひきつけ、仕事でもいろんな人に好かれ多くのチャンスを得ることができるでしょう。
一方、睨む人とは、誰も関わりたくない。
これが、人生であり、運命です。
一瞬で運命が決まり、人生が決まっていきます。
それが、わかっている人は出会いに感謝できるはずです。
そして、そうでない人は・・・・。
自分は、どちらでしょうか。
この世の真理が見えていますか。見えていないですか。
少しでも感謝できる心を持ちたいものです。