よく言われることですが、目に見えないものは、ないのですか?
という質問に、多くの人は「あります」と答えるでしょう。
例えば、空気。空気の存在を確かめるには、風に木立が揺れる様子であったり、帽子が飛ばされるのを見て空気の存在を説明したりしますね。
もう少し科学的な思考を好む方になると、電気や電波を引き合いに出す方もいらっしゃるでしょう。
また、物の原理の話もそうですね。
例えば、地動説と天動説。
もともと人は、天動説で星の流れを見て、地球の周りを他の天体が回っていると思っていましたよね。でも、私たちは地動説が一般的な認識であることを知っています。
私たちは、今見えてるものが全てではないことを知っています。
私たちは、見えてるものが一つの現象であって全体像では、ないことを知っています。
しかし、私たちは見えているものだけで判断をしてしまおうとしたり、包まれている環境を無視したりしています。
それはなぜでしょうか。
子供は大人のいう事は聞かないですね。
それは、精神的に幼稚で自分の立場が分からず、しかも無知で節操をしらないからですね。
では、大人は?
子供とかわらないですね。
会社の愚痴、上司の悪口 旦那の愚痴、奥さんの愚痴、言ってないでしょうかね。
それは、精神的に・・・・・・
見えてるものが、全てではない。
見えてるものは、現象の一部であって、全体像ではない。
そして、そのものでもない。
風は、空気の動きであって空気そのものではないように。
天動説は、見たままの現象であって宇宙をとらえてはいないように。
私たちが意識していることは、そんなもんです。
ですね。